地獄

人それぞれ、みんな自分の地獄があるらしい。

どんな地獄なのかという興味と、自分の地獄が1番辛いという自意識と、比較しても無意味だと偉そうな顔した理性と、抜け出せない地獄への恐怖と、この世は地獄なのかという絶望。

地獄に対して抱くのは負の感情ばかりだ。

 


時に地獄というものは、私の体調や思考力にも影響を及ぼす。地獄から退勤し、束の間の休息。その休息さえも、奴らは見逃さない。虎視眈々と私を狙い、脳内て私をじわじわ蝕む。当然だ。地獄なのだから。

 


時に地獄は天国のふりもするらしい。つい先日まで地獄だった場所が、温かな空気に包まれた自由な天国のふりをする。今の地獄に苦しむ私を嘲笑うように。そしてまた、後悔という地獄へと姿を変える。奴らは常に私を逃がさないのだ。

 


地獄というものは、どうやら他人の目には写らないこともあるらしい。

私から見ると地獄でも、本人にとってはさほど気にしていないことが稀にある。彼らの目には地獄が写っていないのだ。他人の私にはまさに地獄の真っ只中に立っているというのに。その人は気づいていないのだ。ただしかし、多くは私の地獄と一致しているため、私の地獄は人より広いのかもしれない。困ったことだ。

他人の地獄を見学したところで、私の地獄は続く。新たな地獄を見て、私の地獄が広がる可能性もある。これ以上広がるのは御免だ。

 

 

 

私の地獄は、人との間に生まれる。

 


私の地獄は、一度消え去ったことがある。小学5年生の頃だ。ある夜から、地獄が急に薄れてゆき、雲散霧消となる。不思議な体験だった。

今思うと、私は悟りを垣間見たのかもしれない。人への期待と絶望を一度捨て、母の愛に浸り、母の示した神様の本を読み、ただその本の通り正しくありたいと泣きながら願った。

求めた正しさの記憶は曖昧で、今の私では上手く定義できない。だが、当時の私は、虐めてくる人達の良い点を見つけて泣きながら母に話した。

私の地獄が消え去ったのは、この時だけである。

 


どうやら地獄というものは、私を不健康にし、追い詰め、休息を奪い、時に形を変えて私を蝕む。そして、必ずしも他人に見える訳では無い厄介な代物だ。

滅多に起きないが、急に薄れてゆくこともある。

 


世間ではきっと薄れてゆく理由を知ることで、人生に訪れる更なる地獄へ備えるのだ。何度も薬が効くとも限らないのに。耐性だって出来ることもあるだろう?一番は地獄に出会わないことだ。間違いなくそうだ。